22年間、東京都調布市で地域の子どもたちの成長を見守ってきた医療法人社団あすなろの会「ぬきいこどもクリニック」院長の貫井清孝氏(63)。
開院当初から60歳を超えたら後進に道を譲りたいと考えていた貫井氏が選んだのは事業承継によるバトンタッチだ。新型コロナウイルス禍という想定外の経営環境の中で、次の一歩を見据える貫井氏。
事業承継の経緯や思いなどについて、貫井氏と事業を受け継いだ医療・介護事業のコンサルティングなどを手掛けるアレック代表の伊藤拓也氏に聞きました。
- 目次
- 01:「ぬきいこどもクリニック」を開院したきっかけ
- 02:「東京の子どもたちを守りたい」。開院時の思い忘れず
- 03:地域住民に親しまれていた「ぬきいこどもクリニック」様で、どうして事業承継を考えたのですか。
- 04:60歳ぐらいで後進に道を
- 05:国領という地で、22年間大切に育ててきた医療を、受け継いでくれる先として特にこだわった点はどこですか。
-「ぬきいこどもクリニック」を開院したきっかけを教えてください。
●貫井氏 私は東京都杉並区で生まれ、育ちましたが、弘前大学医学部で小児科を専攻したことがきっかけで、青森県や岩手県など東北地方の子どもたちを多く診てきました。その後、東京に戻り、勤務医として子どもたちを診てきましたが、勤務医ですと、どうしても診療件数という評価が付きまといます。私は、話を十分聞いて、見て、触って、においをかぐ、ということが小児医療では大切と考えてきました。
一人当たりの診察時間がたくさん取れない勤務医では、自分が考える小児医療を実現できないと開院を決断しました。開院は実家のある京王線「つつじヶ丘」駅の近くで考えており、たまたま調布駅に向かって2つ先の「国領」駅の近くに物件があったため、1999年に開院しました。
「東京の子どもたちを守りたい」。開院時の思い忘れず
開院して強く思ったことは「東京の子どもたちを守りたい」ということでした。長く、東北地方の子どもたちを診てきて、都会の子どもたちは、地方で暮らす子どもたちと比べて大切にされていないと感じました。
塾やたくさんの習い事をさせられている子どもたちの姿を見て、子どもたちが危ないと本当に思いました。子どもは親の背中を見て、育ちます。できるだけ多くの時間を親子で共有した方がいいわけですが、背中を見て育つ分、お母さん・お父さんの日頃からの振る舞いも大事になります。私は、自分の子育て経験を紹介しながら、お母さん・お父さんと一緒になって、子どもたちの成長を見守ってきました。
開院から東日本大震災のあった2011年3月までは診察時間を午前9時から午後9時までにし、できるだけ多くの子どもたちを診察できる体制にしていました。東日本大震災で、節電が呼び掛けられ午後7時に診療時間を短縮。
その後、近隣にある東京慈恵会医科大学附属第三病院が準夜間帯の診察を始めたため、午後7時までの診察としました。
<「ぬきいこどもクリニック」の開院当時を振り返る貫井氏>
診察券の発行枚数は、1万9,000枚を超えました。初診の子どもの中には、その子の親御さんが幼少時に、聴診器を当てた子もいます。「先生、私も昔、お世話になりました」という話をしてくれるお母さん・お父さんに会うと、この地で長年にわたって小児医療に携わることができて本当に良かったと思います。
-地域住民に親しまれていた「ぬきいこどもクリニック」様で、どうして事業承継を考えたのですか。
●貫井氏 定年制を設ける一般企業であれば60歳ぐらいでしょうか。次の世代にバトンタッチをしながら、それまでの経験や培ってきたノウハウを使い、新たなことをする機会があります。
医師も同じです。毎年、医師国家試験に合格し、優秀な医師が数多く輩出されます。誰もリタイアしなければ、医師は、だぶついてしまう。年を取るにつれて正しい判断もできなくなるかもしれません。従前から、私は60歳ぐらいになったら、後進に道を譲ろうと考えていました。
60歳ぐらいで後進に道を
19年に60歳になりました。その時は具体的なイメージを持っていなかったのですが、20年の新型コロナウイルス感染拡大による患者減をきっかけに事業承継を具体的に考えました。
<「この柱も22年以上、子どもたちの成長を見届けてきた」と話す貫井氏。「健幸クリニック調布国領」でも柱は時を刻んでいる>
「東京の子どもたちを守りたい」という一心で、開業から22年間、地域の子どもたちを診てきました。それはコロナ禍でも変わらず、20年6月、クリニックを子ども専門の発熱外来とし、コロナ禍で子どもたちを守る体制を整えました。
ところが、当時のコロナ株は子どもたちにあまり感染しませんでした。さらに発熱外来にしたことで、風評被害による受診控えも加わり、わずか数カ月で内部留保は底を突きました。コロナの終息も見通せない中、金融機関から借り入れをして経営を続けるのは、いいやり方ではないと考え、CBパートナーズさんに事業譲渡について相談に乗ってもらいました。
国領という地で、22年間大切に育ててきた医療を、受け継いでくれる先として特にこだわった点はどこですか。
●貫井氏 大きく2つありました。1つ目は、事業を受け継いでくれる相手側が自信家、野心家であること。いくら退くとはいっても、長年にわたり大切に育ててきたクリニックを譲り渡すわけですから、少しでも今後の経営に不安をのぞかせるような相手にはバトンを渡さないということは決めていました。
もう1つが、地域のことをしっかり考える方に譲りたいと考えていました。
ただ、コロナ禍の中、そのまま小児科を開院したいと考える方には、お譲りするのはやめようと思っていました。せっかくバトンを受け継いでくれても、どれだけ子どもたちが戻ってくるのか分からない状況です。場合によっては、開院すらままならない状態になる恐れもないとは言えません。コロナ禍による苦汁を味わうのは、私だけにとどめたいという思いが強くありました。
続きは次週・・・「相談事業や自費での運動療法…新たな地域の医療に挑戦 事業承継で地域医療のバトンつなぐ(下)」 を配信予定です。
執筆提供:株式会社CBホールディングス
(取材年月:2022年2月)
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